山本梅逸「四季花鳥図「松に霊芝(十五幅のうち)」

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資料名
山本梅逸「四季花鳥図「松に霊芝(十五幅のうち)」(しきかちょうず )
分類
【美術・工芸】 日本画(東洋画を含む) 掛物・まくり (管理番号14742)
法量
縦27.5×横39.1cm、総丈116.0×50.5cm
作成
山本梅逸
解説
山本梅逸(1783〜1856)は名古屋天道町の彫刻業に生まれる。名は親亮、字は明卿、通称卯年吉。幼少から絵を好み、山田宮常・張月樵に画法をうけ、当地の豪商で古書画収集家の神谷天遊宅に寄寓し、中林竹洞らと古画を模写・研究した。22歳で竹洞と共に京都に出る。晩年帰名して、1854年尾張藩の御用絵師格に任ぜられ士分に取り立てられた。竹洞と並び尾張南画の代表的存在。山水の竹洞に対し、花鳥の梅逸と称された。
子ども用かいせつ
山本梅逸(1783〜1856)は名古屋天道町に生まれた。幼い頃から絵を好み、山田宮常・張月樵という絵師に学び、名古屋の豪商で古書画収集家の神谷天遊という人の家で、中林竹洞(なかばやし・ちくとう)らと古い絵を写したり、研究したりした。22歳で竹洞と共に京都に出るるが、亡くなる少し前に名古屋へ帰り、1854年に尾張藩の御用絵師格に取り立てられた。山水画を得意とした竹洞に対し、花鳥の梅逸とほめて呼ばれた。
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