(丹羽郡西大海道村田畑検地帳)

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資料名
(丹羽郡西大海道村田畑検地帳)(にわぐんにしおおがいとむらでんばたけんちちょう )
分類
【歴史】 古文書・古記録(文献) 70 一括もの(旧蔵者・家別で分類) (管理番号5742)
解説
近世の尾張で、土地制度の基準となり、尾張藩の拝領高の根拠となったのが、慶長13年(1608)に行われた検地であった。徳川家康の命令により、伊奈備前守忠次を総奉行として行われたので「備前検地」とも呼ばれる。検地帳が残存しているのは大変少なく、本資料は貴重である。登録番号0063の慶長13年9月12日付西大海道村御検地屋敷帳といっしょに綴じられている。表紙を欠くが中味に欠失はない。小字名は16ある。
子ども用かいせつ
慶長13年(1608)に行われた検地(けんち)は、村の田畑の広さを測ってその品位(ひんい、肥えた土地かどうかということ)と石高(こくだか)、そしてそこで働くお百姓さんを決めたもの。徳川家康の命令により伊奈備前守忠次を総奉行(そうぶぎょう)として行ったので「備前検地(びぜんけんち)」とも呼ばれる。記録をみると、このころの西大海道村の小字は16あった。検地帳は、全国でもあまり残っていないため貴重である。