松岡寛慶「達磨大師像画賛(退山偈)」

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資料名
松岡寛慶「達磨大師像画賛(退山偈)」(だるまたいしぞうがさん(たいざんげ) )
分類
【美術・工芸】 日本画(東洋画を含む) 掛物・まくり (管理番号14964)
法量
本紙縦124.6×横58.9cm、総丈208.7×横63.4cm
作成
松岡寛慶
解説
寛慶(1876-1934)は、中島郡新神戸村(現一宮市今伊勢町)の豪農松岡忠右衛門の三男。号は喝山窟。兄は第一毛織の興隆者。10歳の時、知多郡岡田村慈雲寺で得度の後、京都天竜寺峨山、伊予八幡浜大法寺禾山老師に師事し、大正2年38歳で妙興寺住職となる。寺内に妙興禅林を開設。大伽藍の復元に尽力した。現在の仏殿・書院・開山堂はこの時の新築になる。本品は、昭和7年妙興報恩禅寺を退山する時の作で、漢文に自らの心境を表した。
子ども用かいせつ
松岡寛慶(まつおか・かんけい)は、今の一宮市今伊勢町新神戸に生まれた臨済宗(りんざいしゅう)のお坊さん。10歳から修行に出て、38歳で妙興寺の住職となり、お寺の中に雲水(うんすい)さんたちのために学校を作り、仏殿・書院・開山堂などを再建して妙興寺を昔のように立派なお寺にしました。この作品は、昭和7年に妙興寺の住職をやめて出る時に作ったもので、漢文に自分の気持ちを表しています。
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